2022/10/30
ラマヌジャンの論文集を少し読んだ。彼は要するに計算で遊んでいたのだ。その感覚が異常に研ぎ澄まされていたのだ。 小説で矛盾するシナリオを書いてはならない。何故なら全てを導けるからだ。それは小説の体を為していない。つまり、無矛盾のシナリオを書かないといけない。つまり、悪は滅びるシナリオを書かないといけない。それが必要条件だ。 無から有を生み出す事は無理、という事でどこかからエネルギーを奪うしかない、その対象は海岸に打ち捨てられた鉄屑でよい。海岸に捨てられた車の存在を崩壊させてエネルギーを得る事を考える。 新潮文庫の罪と罰の解説に、ドストエフスキーは思想、論理による社会的正義の為の殺人を決意し革命を起こそうとしたが逮捕されそれに失敗。その後思想の点検、整備をして罪と罰を書いた、のような事が書かれてある。では、愛と平和、空想的社会主義か、全ての犯罪は定量化され、殺人以上の善行を積めば革命家が王になる事は論理的に認められると主張するラスコーリニコフ、どちらが正しいのか。全ての前提が美、主客未分であるならば前者になる。後者は論理的に敗北している。すなわち真の革命家は大衆の認識に変革を起こす芸術家であるとドストエフスキーは言っている。 シベリアに送られたラスコーリニコフは丸太の上に腰を下ろし、自首による破滅によって美に触れる。イデアを観る。 罪と罰がラスコーリニコフとソーニャを、宿命の二人を一つの場所に留まらせる。そして一つの場所に留まる事が宿命ならば罪と罰も宿命となる。それがラスコーリニコフが明日の夜、金貸しの老婆は一人で店にいる事を偶然耳に入れた理由だと思われる。 つまり、殺人を犯す事も生まれる前から決まっている、この世界は劇だったとドストエフスキーは言っていると思われる。 気がついたが、罪と罰の解説してると小説を書く力がつく。