2023/03/13-17

2023/03/13-17



テロメアの話だが、

存在と非存在の法則も

あるとないが同時に成立しない→存在の構造を前提としているから無矛盾である。

よってDNAも無矛盾性から導かれる全てが適用される。

テロメアにも適用される。

年老いた人間をみて

テロメアが長いと思えば長くなる=若者だと思えば長くなる。

存在と無矛盾性が同値なのだからテロメアにも作用する。



命題

他人のルックスを馬鹿にしたら、そのまま即座に自分のその場所が悪くなっていく

を示す。

まず

補題

他人を老人だと思ったら老化する

-な言葉を思ったら自分のエネルギーが下がる


証明

この事を示す為に、今

若いA,老人Bと二人の人間が何もない空間にいるとする。


もし仮に老化しない場合、そもそも永遠に老けない。何故なら美しくなければならないから。老けるには原因がある。そして波動空間によって存在現象が全て定まるので思いが老化を進めていることになる。


AがBを老人だと思ったとする。

思ったという事は思われないといけない。(無矛盾だから、Bを傷つけたのだからAは傷つけられないといけない)

Aが老化しなかったとしよう。

すると若いままであり、そのまま死ぬ事がない。

つまり永遠に老人だと言われることがない。

これは成立しない。

よってAは年老いる。老化が進む。


わかった、存在とは関係が可換でないといけない、って事は醜いと思ったら醜いと思われないと存在が成立しないって事だ。だから必ず自分がやったものは自分に返ってくる。醜いと思ったら存在を成立させるために必ず自分も醜いと思われるって事だ。


関係が可換だから、関係が可換にならないといけないから年老いて行くんだ。


先ほどの例で仮にAが年老いないならば、永遠に若いままだ。それは矛盾する筈だ。



老人を美しいと思う関係を自分で作った場合、やはり自分が美しいと思われないといけないのだから美しくならないといけない筈だ。





資格とは宿命だ。ところでルックスも宿命だ。という事はルックスとは資格の事だ。悪いルックスの人間は資格がない、という事になる。確かに美容に気を使う人間は使わない人間に比べて美しいのは間違いない。



結婚生活がカルマの精算であるならば、年老いて相手のルックスが好きじゃないから別れた、って言うのは何が原因かって、他人の顔が嫌いだとか思っていたから顔が悪くなって別れたのではないか?


無矛盾性の性質の一つとして美があり、もう一つの顔として愛がある。もう一つの顔として主客未分がある。他人の顔が悪いとか愛がある行動なわけがない。だから愛を知る為に、他人の顔を馬鹿にした瞬間から顔が悪くなっていくのだろう。


結局この空間構造を保持する為にはエネルギーのような流体空間にならざるを得ない。





無矛盾性と美の必要十分性を示す必要がある。


美を前提とすると、無矛盾である事が必要となる事を示す。

もし矛盾していた場合、どうなるか?

いや違う。美の存在を前提とするから美の存在は無矛盾性を要求する。

美から無矛盾性が必要である。


次に無矛盾性が仮定されたら美が出て来るかを示すのだ。

美が存在するとはどういうことか?

というより無矛盾なら美しいとは限らないので、美という条件はこうだろう。

たがいに矛盾する美しい理論Aと美しくない理論Bがあった場合、どちらが真実か、という判断である。この時に無矛盾ならば美しいAを取るという事になる。

これを示すのだ。


もしBを取った時Aは存在しない事になる。

この世界が無矛盾で論理が充満している。

ならばAかB、どちらか一方しか成立しない。

ちがうな、無矛盾ならば全て存在するから、AかBのどっちかが矛盾しているんだ。


美から無矛盾である事が要求される


存在から


美を前提とした時、存在が必要である。

存在が前提とした時、この世界は無矛盾となる。


そして明らかに存在⊇美である。

美ならば美⊇存在となるかである。

美が存在するならば無矛盾である事が要求される。

もし美しいが存在しないものが存在したとするとそれは背理である。

よって美と存在は同値である。よって無矛盾性と美は同値である。



反出生主義も出生主義も子供は必ず生まれるで話終わりじゃん。

何を議論しているのやら。

無駄な事だ。


宿命論、としては、Aが存在する時、その存在を為した前提とは逃れられぬ定め、という事だ。それが宿命だ。

という事は、存在物は全てその場所に存在することが決定されているのだ。という事で全て決定されているのだ。


という事は子供に限らず何かを生み出した人間は全て宿命だった。

という事は世界を破壊するようなAIが生れたとしてもそれを生み出す事は宿命的に定められていた、という事になる。その意味でも全て定まっている。

これには無論この世界が論理的であれば、という条件が付いている。

この世界には矛盾した瞬間が存在する。という言説は、存在概念が無矛盾だからこの言説も存在しない。すなわち世界は一意的に定められている。

存在を主張した時点で無矛盾になる。

これを否定したいのならば存在を主張しないしかない。ところがこれはこれで存在を含意している。



矛盾した振る舞いが老化を進行させるならば、貯金をすることは矛盾しているのではないか?


それだったら金を稼ぐ力を上げる為の自己投資をし続けたほうがいい。




荒木飛呂彦は全てを差し出せば足も動くようになると言いたいのではないだろうか?




時間概念が存在しないのであれば、無矛盾であれば、宿命をやっていれば永遠に老ける事がない。

が、仕事をやっていても実際に老けているのは、他人のルックスを馬鹿にしているからではないだろうか?


この世界の空間は全て論理の産物だから全てのルックスも論理の産物だ。想いの産物





量概念の問題もやらないといけないが、もう一度

主客未分と因果応報について考えて美容について考えないと。


命題

相手を老人だと思ったら全身が老化する

証明

老けなかったとする。

そうすると、矛盾する事を示さないといけない。

無矛盾性(無矛盾でなければならない)、波動空間(一元体)、美(美しくなければならない)、存在(二項関係が可換でなければならない)、愛(主役未分)、主客未分(因果応報)よりルックスが老けるのは心が原因である。全てを心が定めている。

美しくなければならないのに、醜い、老人だ、と思う事は矛盾している。この事が何を引き起こすか?

二項関係が可換にならなければならないので自分も醜い、老人だと思わなければならない。


そもそも顔が老けていると思ったら自分の顔が即座に老けないとおかしい。何故なら美しくなければならない(無矛盾でなければならない)のであるならば、顔が老化する道理がない。

あるいは他に老化する筋道があるか?



思考実験だ

部屋に若者Aと老人Bがいて若者Bがひたすら相手を老人だと思い続けていたらどうなるか?という話である。

この状態でAが老化しなかったと仮定する。

使っていい前提は

無矛盾性(無矛盾でなければならない)、波動空間(一元体)、美(美しくなければならない)、存在(二項関係が可換でなければならない)、愛(主客未分)、主客未分(因果応報)

である。

二項関係が可換にならなければならないので、Aが老人だと思われなければならない。もしかりにAのエネルギー値が下がらなかったら永遠に老人になる事がない。それは前提、美しくなければならないからエネルギー値が下がってはいけないのである。


しかしこのままだと矛盾するからAが老化が起こる。つまり自分の発した言葉が自分に返ってくるのである。


よって相手を美しいと思っていれば美しくなるのである。


しかし上の議論、もっと直截的な議論にならないだろうか。

いや、そもそも、何も思わないのであるならば老化は起きないのである。一元体よりそれは明らかだ。

つまり、何か思ったら老けるか逆に現象が起きているのである。

他人に顔が悪いと思ったとする。この時二項関係が可換にならなければならないので、思った本人が顔が悪いと思われないと矛盾する。この時実際に顔の劣化が起きていないと仮定すると矛盾する事を示す。

若者Aが17歳でエネルギー値が100、普通の人間は25歳でエネルギー値が20として、顔が美しいの定義が20歳未満でエネルギー値が50以上だとすると、最初から誰も若者Aを醜いと思わないのである。よって実際に顔が悪くならないと矛盾する。逆に顔が美しいと言っていればこの逆が起きる事が導かれる。そして美しいの定義が上記の場合、美しいと言い続けていれば50歳の人間も上記の定義に近づいていくので20歳未満まで若返ることが出来る。宿命とは言葉だった。口癖だった。






空間は無矛盾である。

人間の精神は空間に属する。何故ならば、肉体がないと人間の精神もないからである。


この世界は無矛盾であるか否か。

もし仮に矛盾した瞬間が存在したとすると、矛盾した瞬間が存在しないとなり、これは矛盾であり矛盾と存在概念は同値なので存在しない。よって前提が誤りである。


そもそも存在と無矛盾性は同値である。

論理が使えなくても上の性質は使える。


全ては言語で表現されるか否か。

表現されないとする。すなわち表現されない領域があるとする。


Aが存在する

ならば

Aが存在することは無矛盾である

事が前提にある。

何故ならAが存在する事が矛盾していた場合、

Aが存在するがAが存在しない

となり、

Aが存在するが成立していないからである。

Aが存在する

と

Aが存在するが、Aが存在しない

は同時に成立しない。

本当にそうか?


命題(文章)の成立の条件を考えよう

命題がを述べる時、それが真でなければならない。

もし仮に偽である場合が少しでも混じる場合、言うまでもなくその命題、文章は成立しないのである。つまり文章、命題を述べる時、それが真である

何か文章を述べる時、その文章が表現してる内容の存在を仮定している。実際に存在するかはともかく。

論理を否定しても

文章Aの存在の前提の性質は述べる事が出来る。例えば「コインが存在する」と表現した場合、「コインの表が存在する」は言える。


この場合

Aが存在する

の前提は

Aが存在する事は無矛盾である

は言えるか?

もし仮に言えないとした場合

Aが存在することは矛盾している、すなわち

Aが存在しかつ存在していない

となる。先ほどの考察からすると

Aが存在し、かつ存在していない

が成立している場合、このような状況は仮に論理を否定したとしてもあり得ない、という事を示す必要がある。

つまりAが存在している、ならば

Aが存在していて、かつ存在していない

という状況は存在しない事を示す。


つまり、矛盾していても存在する、は成立しない事を示す。これが一般則である事を論理を使わずに示したい。

論理を使った場合

存在と無矛盾性は同値である。

論理を使った時この世界は無矛盾となる。矛盾した箇所が一切消滅する。

論理が使えない場合、

そなわちAが存在するが、存在しない

が言えたとすると、何が起こるか?爆発律が生じて、全てが導ける。この世界の連続的変化を一切認めず一瞬で人は何者にでもなれる事が導かれる。時間的変化が存在しないのである。今この瞬間に俺はゴジラになれる、目の前の消しゴムも瞬間的にゴジラになれる。時間概念が消滅して一瞬でゴジラになれる、という事になる。全て即座に想いのままである。ところが俺は今この目の前の消しゴムをゴジラに変えられない。これでこの世界は爆発律は成立しない事になる。


というわけで論理を使ってよい。








そもそも因果関係と包含関係は同値であるならば、存在とは因果関係内部にある場合、必ず包含関係の内部にあるのだから空間の要素である。



そもそもだ、時間が流れてると思ってるから時間が流れて老けていってるんじゃないか?時間が逆に流れると言うのはどうだ?そう思い込むというか。空間は全員のルックスが上がって行く方向に流れている、と思い込むのはどうだろうか?正しいかは知らないが。






もしこの世界に矛盾があるなら爆発律から全てが導かれるが、現実には自分の夢は即座に叶わない。今この瞬間に全てが手に入るが全く叶わないので、この世界に矛盾はない。全て論理的である。

よってシナリオが存在する。というより、シナリオが先かもしれないが。





この世界は矛盾しているか否か。


「

Aが存在する

ならば

Aが存在することは無矛盾である

事が前提にある。

何故ならAが存在する事が矛盾していた場合、

Aが存在するがAが存在しない

となり、

Aが存在するが成立していないからである。

Aが存在する

と

Aが存在するが、Aが存在しない

は同時に成立しない。

本当にそうか?


命題(文章)の成立の条件を考えよう

命題がを述べる時、それが真でなければならない。

もし仮に偽である場合が少しでも混じる場合、言うまでもなくその命題、文章は成立しないのである。つまり文章、命題を述べる時、それが真である

何か文章を述べる時、その文章が表現してる内容の存在を仮定している。実際に存在するかはともかく。

論理を否定しても

文章Aの存在の前提の性質は述べる事が出来る。例えば「コインが存在する」と表現した場合、「コインの表が存在する」は言える。


この場合

Aが存在する

の前提は

Aが存在する事は無矛盾である

は言えるか?

もし仮に言えないとした場合

Aが存在することは矛盾している、すなわち

Aが存在しかつ存在していない

となる。先ほどの考察からすると

Aが存在し、かつ存在していない

が成立している場合、このような状況は仮に論理を否定したとしてもあり得ない、という事を示す必要がある。

つまりAが存在している、ならば

Aが存在していて、かつ存在していない

という状況は存在しない事を示す。


つまり、矛盾していても存在する、は成立しない事を示す。これが一般則である事を論理を使わずに示したい。

論理を使った場合

存在と無矛盾性は同値である。

論理を使った時この世界は無矛盾となる。矛盾した箇所が一切消滅する。

論理が使えない場合、

そなわちAが存在するが、存在しない

が言えたとすると、何が起こるか?爆発律が生じて、全てが導ける。この世界の連続的変化を一切認めず一瞬で人は何者にでもなれる事が導かれる。時間的変化が存在しないのである。今この瞬間に俺はゴジラになれる、目の前の消しゴムも瞬間的にゴジラになれる。時間概念が消滅して一瞬でゴジラになれる、という事になる。全て即座に想いのままである。ところが俺は今この目の前の消しゴムをゴジラに変えられない。これでこの世界は爆発律は成立しない事になる。


というわけで論理を使ってよい。

」


Aが存在する

の背後には

Aが存在するが無矛盾である

事が要求される

何故ならAが存在するが矛盾していた場合

Aが存在するが、存在しない

が言えるからこれは最初のステートメントに反する。

つまりAが存在するが言えた場合

Aが存在するが存在しない

は言えない事を示したい。もし言えた場合矛盾を許容することになる。



違うな、

まず論理を仮定して存在の相互法則により空間は無矛盾である、となる。これは論理を仮定した場合である。


次に

この世界は矛盾した瞬間がある、

が真実であった場合、

やはり存在概念を使っているのであるから背理である、という論法だが、これは使っていいのか?


これも違うな


つまりAが存在するが言えた場合

Aが存在するが、Aが存在しない

は言えない事を示したいのだ。

もし言えたとする。

するとAが存在しないのである。


もうちょっと考える

文字Aが存在するが文字Aが存在しない

明らかに同時にに成り立たない。

文字Aが紙の上に書かれているが、同じ文字は紙の上に書かれていない

は明らかに成立しない。

Aは空間の要素であるが、Aは空間の要素ではない

は言えない。これら二つが同時に成立することはない。何故なら互いに排斥しあう内容だから。

Aは空間の要素である、ならばAは空間の要素でないは言えない。

よって無矛盾である。

そしてAが空間の要素であるならば存在する。

Aは空間の要素ではないならば存在しない、事を示したい。

Aが空間に存在するならば、Aが空間に存在しないは言えない。どっちも同時に成立は成り立たない。どっちか二つが片方だけしか成立しない。




老化する十分条件を考えると、一元体及び、包含関係が因果関係と同じこと、及び無矛盾性から

老化する十分条件は

他人を老人だと思う事

である筈だ。

若返りの十分条件は

他人を若いと思う事になる。


テロメアがどうこうというよりも、そうなる筈だ。





テロメア

https://www.mnc.toho-u.ac.jp/v-lab/aging/doc2/doc2-07-01.html

テロメアの長さが老化の本質ではない、というような話だが、老化の本質は他人を醜いとか老人だとか思うからではないだろうか?

という事は他人を美しくすることは長期的に見て健康に影響がある。

https://www.toyaku.ac.jp/lifescience/departments/applife/knowledge/article-030.html


https://wired.jp/2018/01/17/telomere-and-resveratrol/

テロメアが長くなる。






子供が生まれて息子がやくざの道に行くのはカルマの理論的にやくざの気持ちとか苦しみがわからなかった因果応報ではないだろうか。







宿命の機構、口癖をそのまま医学に応用出来るのではないか?





エネルギーは本当に有限だろうか?等価交換は真実だとしても、それを汲み上げる物理的経路は存在しないのだろうか?





冨樫義博はナニカで何を伝えたかったのか?

ナニカは無矛盾性の象徴である。

主客未分の願いなら代償無しで叶う。自己本位の願いならば必ず等価の代償が必要である。


主客未分の願いなら全て叶う、という事だろうか?



Aが存在する

ならば

Aが存在する事は無矛盾である

事を示す為に

Aが存在する事はAが空間に要素がある事を示し、Aか空間に要素がある事は

Aが空間に要素がない

と言う文章と完全に排斥し合う為

Aが存在する事は無矛盾である

は完全に言える事を示す。

その為に存在とはこの世界が無矛盾ならば輪郭の事だと示す。


違うな。

Aが存在する事は無矛盾である、ではなくて、最初から

Aが空間に要素がある

と言う文章は

Aが空間に要素がある事は無矛盾である事が背後にある事を示した後に存在と無矛盾性が同値である事を示す。

ある、の定義は、ないが成立しない、とすればよい。

存在⇄空間に要素がある⇄無矛盾性

これらを示す。

というか、

存在するの定義を

存在しないが成立しない

と定義すれば

存在する事が無矛盾である

が言える。これでよい。全ての問題は解決した。





癌細胞、無限に増殖するらしいが、これを分析すればなんでも再生するなんて出来ないだろうか?






無矛盾性の証明

矛盾しているなら爆発律が成立し、全ての夢が一瞬で叶う筈が全くかなわないので矛盾している。平和も一瞬で訪れる筈なのに訪れないので矛盾している。つまりこの世界は論理的である。問題はこれの数学的証明をどうやるかである。




Aが存在する

ならば

Aが存在することが無矛盾である

という事を示す為に、


Aが存在する、とAが存在しないが同時に成立したとしよう。(Aが存在することが無矛盾である事の否定)


この時何が起きているかを考える。


存在するの意味領域を考えると、それは存在しないと排反である。何故なら存在するという言葉が意味するものの集合とそれ以外を存在しないと定義するからである。意味領域という概念がない、と主張するのであれば、それは存在する、という文字列自体なにも意味しない。文字と呼ばれるものはただの絵である、何も意味しないので、その文字という名の絵以外どのようなものも表現出来ない。

その意味領域が排斥しあうのが、存在するの領域と存在しないの領域である。

ここで境界領域、すなわち存在すると存在しないが同時に成立しない事を示す。もし交わっているのであれば、排斥している、という定義に反する。もしこの定義すらも使えないのであるならば、そもそも意味領域すら使えないので、文字列はただの絵になり下がる。

よってAとAの否定は互いに交わる事はない。


もうちょっと数学的に仕立てると

Aが存在するの意味領域とそれ以外(すなわち存在するが指定する意味領域以外)を存在しないの定義にするので必然的にAとAの否定の共通部分はφとなる。


この定義、というより存在すると存在しないの意味を考えるとこの定義にしかならない。

Aが存在する事が無矛盾である

という性質が導かれる。そして存在と無矛盾性が同値である事が示される。そして存在とは輪郭の事である。




あー、わかった、SNSのアイコンは自己の存在のイメージなのだ。自己の存在と矛盾したものをアイコンにしないのだ。

自分に自信があるから綺麗な女優の写真なのだ。





人生は頼まれごとやってるだけでいい、というのであるならば、仕事をしている人間は歳を取らないはずだが、実際は働きすぎる人間は健康を壊すのは何故だ?





頼まれごと(仕事)、と言うのは頼む人と頼まれる人の両者の間を繋ぐものだ。だから主客未分なのだろう。




無矛盾であるのに意味がない、というのは矛盾している。


口癖にも意味がないというのは矛盾している。


願望を口にして意味が全くない、というのは矛盾している。

意味がある。




人との出会いはカルマを解消する為に出会う。まだ解消されてないカルマがあるならば、それに対応する人間と必ず出会う。異性か同性かはわからない。

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