2023/02/01



本を目をスーって通すのはよくなくて明確に格闘が必要なら、罪と罰も明確に格闘が必要だ。書き写すことが必要だ。それならばフランス語版罪と罰を書き写せば俺は強くなれるのではないだろうか?あらゆる意味で。






縁起とは出会いのシーンで、荒木飛呂彦はストーンオーシャン最終話で引力とは縁起の事だと看破したのだ。完全な最高レベルの物理学者だった。


彼は、漫画も絵画もファッションも物理も哲学も最高レベルで極めているのだ。イラストと小説が合体したものが漫画か。




臓器が再生するというシーン、縁起もあるはずだ。



縁起とはシーンの事ならば、イデアを作ればいいのだ。全てそれに集約される。それには±∞のエネルギーを与えればいい。


つまり全ての再生医療は、というか全ての病気を治す事はイデアに帰着される。そしてその方法は映像にエネルギーを永続的に与える事だろう。


例えば全ての人間に対して「頭いい」と言っていたらそれだけ自分を低く置いてるのでそれを言わない人間よりも遥かに多くの事が学べるから最終的に彼が一番頭が良くなる。

確かに言ったものが自分に返ってくる。

逆に全ての人間に対して「頭が悪い」と言っていたらそれだけ傲慢になって学べるものをすべて見落として最終的に全く使い物にならない人間が出来上がる。


つまり若返りたいなら、可能性がある手法は全ての人間の顔を若いとか美しいと思うしかない筈だ。


全てから若く美しいと思われたいなら、全てを若く美しいと思うしかない筈だ。主客未分ならそういう事だ。

そう思いだしたら顔がむずむずするのは気のせいだろうか。



無矛盾な現象全て存在するのであれば、顔が悪いと思ったら自分の顔が悪くなるのだ。おそらく。


というか、顔が存在なら、顔が若返れば全身が若返るんじゃないのか?


一元体の理論上、全現象を定めているのは心である。顔が醜いという波動を発するとそれが自分に返ってくるのは絶対だ、主客未分の定義上。顔が悪いと思ってるだけで口に出してないとする。その場合、やはり顔が悪いと思われないといけないから、顔が悪くないといけないのではないだろうか。顔が悪いとずーっと思っていたとすると、やはり顔悪いとずーっと思われないといけないから、顔が悪くなってないといけないのだ。

つまり顔が悪くなるのは他人の顔を醜いと思っているからだ。これで出来上がった。



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