2023/01/28
子供は最も縁が深い。人と別れる際、縁が無かった、就職が決まった時縁があった、と表現されるが、縁の有無で関係が生まれるかが定まる。とすれば縁がある相手とは出会う前から縁があった。つまり、最初から出会いは決定されていた。全ての出会いと別れは縁の大小で定められている。前世の出会いも今世の出会いも来世の出会いも全て決定されている。今世で縁が深い相手は前世でも縁が深い。子供が生まれない人間はそもそも最初から生まれない。そして結婚相手も定まっている。
縁の本質は罪と罰であり、それは形であり、宿命だ。宿命の概念の拡張、定量化が縁起だ。罪と罰というタイトルは縁起、という意味だ。
縁の概念、及び存在の存在証明で、この世界は縁によって完全決定されている。
縁の概念により通常の物理空間は大幅な拡張が行われる。目に見える計測可能な距離空間は本質ではなく、縁起の空間が本質である。いや違う、縁起とは空間概念を更に一般化した全ての出会いと別れの根源だ。その出会う映像、シーンにたどり着く事すら縁起だ。全ては縁起だ。
この事により、本当に全てを差し出すのであれば、たとえ連絡先を知らなくても何処にいるかわからなくても二人は再び出会う奇跡が起こる。何故なら全ては縁起の大小によって決定されるから。行かなければならない場所に行く必要もない。そもそも縁起とは距離概念ではない。もっと抽象化された出会いと別れだ。
真理、イデアは何故映像の形を取るか?それは無矛盾性より論理が充満しているから文章ではなく映像の形を取る。無数の文章の集積として映像表現になる。
痛みがないと学びがない、というのが等価交換らしいが、一回この動画を見ただけで言われた事を一発で体から離れられないようにするにはどうしたらよいか。